夜にともす、ひとつの灯

燈依

とうい

迷いの奥を、静かに照らす。

自己紹介

はじめまして、
沖縄県石垣市の川平で、ユタとして活動しております、燈依(とうい)と申します。

今日は、私がこの仕事にたどり着くまでの道のりを、少しだけお話しさせていただこうと思います。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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生まれ育ちは、石垣島の北、川平湾を見下ろす小さな集落です。
両親はユタの道には進まず、本島へ働きに出ていたので、物心ついた頃から私を育ててくれたのは、海の見える古い家に暮らしていた
祖母(おばあ)でした。

祖母はユタで、
村で誰かが体調を崩したり、
おかしなことが続いたりすると、
「おばあ、ちょっと来て」と、そっと呼ばれていく人でした。

「燈依(とうい)」という名前は、
祖母が近所のとしよりに相談して、つけてくれたものだそうです。

生まれた夜、
家の縁側の灯りが、風もないのに一度、二度、揺れた——
そう祖母は繰り返し話してくれました。

「あんたには、遠くの人の灯(あかり)が視える子になるから、
その灯を、頼りに使いなさい」

そう言って、祖母はこの二文字を選んでくれました。

幼い私にはよくわからない話でしたが、
その言葉の音だけは、
胸の底に、ずっと灯っていました。

自分は少し違うのかもしれない、と最初に思ったのは、七つの夏の夕暮れです。

いとこと二人、
川平湾の砂浜で貝を拾って遊んでいると、
海の向こうから、
小さな橙色の灯が、ふうっと近づいてくるのが視えました。
いとこには、なぜか視えていないようでした。

その灯は、
私の頭のうしろを通って、
祖母の家のほうへ、すうっと戻っていきました。
追いかけるように家まで走って戻ると、
祖母は、台所の板間で足を折り、
声を出せないまま倒れていました。

「なんで、おばあが倒れているのが、わかったの?」

医者が来て落ち着いた頃、
駆けつけた父方の伯母がそう聞きました。

「わからない。灯が呼びに来たから」

私は自分でも、
それがどういう意味かわからないまま、
そう答えていました。

その日から、少しずつ、
不思議なことが増えていきました。

私に視えるのは、人ひとりひとりの、胸の中に灯っている小さな火です。

  • まっすぐ立って燃えている人。
  • なにかに覆われて、揺らいでいる人。
  • ほとんど消えかけていても、それでもまだ燃えている人。

その灯の様子で、
その方が今、どんな時間の中にいるのかが、
なんとなく視えてしまうのです。

最初は思い込みだろうと疑いました。
けれど、灯が暗くなっている友達に「大丈夫?」と声をかけた翌日、
その子は必ず、家のことや体調のことを打ち明けてくれました。
くり返されるうちに、
これは思い込みではないと気づきました。

中学、高校と進むにつれて、
この感覚はどんどん強くなっていきました。
港のフェリー乗り場、学校の体育館、旧盆の集落の広場——
人が集まる場所を歩くと、
数えきれない灯がいっぺんに視界に入り、
帰り道はいつも、頭の芯がじいんと痺れていました。

放課後はよく、
祖母の家の縁側に座って、
海のほうを眺めながら、
自分の中の灯を静めてから、家に帰っていました。

高校二年の夏のことです。

祖母がふと、
夕食の途中で箸を置き、
私の顔をまっすぐ見て、こう言いました。

「あんた、私の灯が揺れているの、視えているでしょう」

私はすぐには返事ができませんでした。
そう視えていましたが、
言葉にすることが、怖かったのです。

「私の灯は、そろそろ消えるよ。
でも、心配しなくていい。
あんたが継ぐ灯は、ちゃんと別にあるから」

祖母は淡々と、そう言いました。

それから一年ほどして、
祖母は、朝、
縁側でお茶を飲みながら、
本当に、眠るように旅立ちました。

その日から私は、
祖母が使っていた小さな盃と、
一枚の古い手ぬぐいだけは、
どこへ行くにも、そっと持ち歩くようになりました。

十九の春、私は那覇に出ました。

観光ホテルのフロントで、
まったく普通に、
言葉と笑顔だけで働く人になりたかったからです。
私に視える力のことは、
だれにも話さないと、決めていました。

けれど、那覇のロビーは、
想像していたよりずっと、
たくさんの灯で溢れていました。

  • 旅先で少しゆるんでいるお客様の灯。
  • お仕事で来られた方の、奥のほうで焦げついている灯。
  • ご家族の看病のために本島へ来られた方の、今にも消えそうな灯。

カウンターに立っているあいだ、
それらすべてがいっせいに視えてきて、
私は、言葉を選ぶ間もありませんでした。

半年もしないうちに、
朝、布団から起き上がれなくなりました。
身体はどこも悪くないのに、
灯を視すぎた頭が、
夜通し休んでくれないのです。

ある雨の日のことです。

ホテルの休憩室に置いてあった観光パンフレットを、
なんとなくめくっていました。
そこに載っていた、川平湾の夕方の写真。
橙色の海と、
祖母の家がある岬の影が、
胸のいちばん奥まで、そのまま流れ込んできました。

数週間後、
私は仕事を辞めて、
石垣に戻ることにしました。

久しぶりの川平は、
何ひとつ、変わっていませんでした。
家の縁側に立って、
海の方角にしばらく手を合わせたあと、
私は集落の外れにある小さな御嶽(うたき)に、
一人で歩いていきました。

拝所の石の前に立った時、
胸のあたりに、
祖母の声のような音が、ぽつり、ぽつりと落ちてきました。

「あんたの灯は、
もう、あんただけの灯じゃないよ。
困っている人の灯を、
一緒に守ってあげる灯だから」

その日、
自分の中で長いあいだ結ばれていた何かが、
ふっと、ほどけました。

初めて誰かの相談を受けたのは、それから半年ほどしてからです。

集落の隣に住む五十代の女性から、
「うちの息子と、少しだけ話してもらえませんか」と、
頭を下げて頼まれました。
その方の息子さんは、
高校を出て本土に働きに出たあと、
一度も家に戻ってこられていない方でした。

台所に座っていただき、
熱いお茶をお出ししながら、
その方の胸の中の灯を、静かに視てみました。

灯は消えていませんでした。
ただ、とても小さく、
ずっと縮こまったまま、
遠い場所で震えているだけでした。

「息子さんの灯は、消えていないですよ。
ただ、"帰ってきていいのか"を、
まだ、ご自身に許せていないだけです」

そうお伝えすると、
その方は、
湯呑みを両手で包んだまま、
しばらく黙って、静かに泣いていらっしゃいました。

数ヶ月後、
息子さんから久しぶりに手紙が届いたと、
その方が、
仏壇に供えるお花を持って、訪ねてこられました。
その笑顔を見送りながら、
自分がこの仕事を続けていくのだと、
胸の底で、静かに決まりました。

それから少しずつ、鑑定の仕事を始めました。

最初は島の中の口コミからでしたが、
今は本土や他の離島の方からも、
オンラインでご相談をいただくようになりました。

  • お仕事の岐路に立たれている方。
  • ご家族との関係で長く胸のつかえを抱えている方。
  • 大切な方を亡くされ、気持ちの置きどころを探されている方。

私に声をかけてくださる皆さんは、
たいてい、
ご自身の中に、
すでに小さな答えの灯を、灯していらっしゃるように感じます。

私にできるのは、
その方の中に灯っている小さな火を、
できるだけ丁寧に視て、
「今、灯はこのあたりに揺れていますよ」と、そっとお伝えすることだけです。

視えたこと、聴こえたことは、
言葉を選んで、正直にお伝えします。
ただ、
「こう進むべき」とは、絶対に申しません。
進む道を選ばれるのは、いつだって、ご本人ご自身です。

七つの夏の夕暮れ、
海の向こうから来た小さな橙の灯を追いかけた小さな私は、
今も、心のどこかにそのまま住んでいます。

遠くの人の灯を頼りに、そっと灯を返す仕事。
祖母が置いていってくれたこの名前のとおりに、
今日も川平の一室から、
画面の向こうの、
お一人おひとりの灯に、そっと目を向けています。

ここまで読んでくださって、
ありがとうございました。

もしこの文章のどこかで、
胸のあたりが、
ほんのわずかでも温かくなったなら。
今、ひとりで、
自分の中の灯がうまく視えなくなっているのなら。
よかったら公式LINEから、そっと覗いてみてください。

一緒に、
あなたの中で今も静かに燃えている小さな火を、
探しにいけたらと思います。

燈依

よく聞かれること

沖縄・石垣市の川平で霊視鑑定をしております、燈依(とうい)です。

SNSで鑑定のご紹介を続けていると、
同じことを何度もお尋ねいただくようになりました。
なので、ここにまとめてお答えしておきます。

01名前の燈依(とうい)って何?

祖母が私に付けてくれた名前です。

私が生まれた夜、家の縁側に吊るしてあった灯りが、風もないのに一度、二度、静かに揺れたそうです。
祖母はそれを見て、近所のとしよりに相談してから、この名前を選んだと、あとになって何度も聞かせてくれました。

「あんたは、遠くの人の灯(あかり)が視える子になるから、その灯を、頼りに使いなさい」

祖母はそう言って、この二文字を私につけてくれました。

02出身は?

生まれ育ちも石垣です。川平湾を見下ろす坂の途中の、古い平屋です。

両親はユタの道には進まず、本島へ働きに出ていたので、物心ついた頃から私を育ててくれたのは、川平の家に一人で暮らしていた祖母(おばあ)でした。
祖母はユタで、集落で誰かが体調を崩したり、家の中でおかしなことが続いたりすると、決まって呼ばれていく人でした。

十九のとき、私は一度、那覇の観光ホテルに就職しました。ただ、半年もしないうちに体を壊してしまい、島に戻ってきました。それから、もう十五年ほどになります。

朝は、川平湾の水面が朝日で白く光り始める前の、まだ薄暗い時間に、集落の外れの小さな御嶽(うたき)に手を合わせに行きます。
十五年、ほとんど欠かしていません。

03ユタなんですか?

はい、川平でユタとしてご相談をお受けしています。

私の家は、祖母(おばあ)がユタでした。
ただ、両親はユタの道には進まず、本島へ働きに出て、市場の食堂で長く働いていました。

祖母は、集落で誰かが体調を崩したり、家の中で不思議なことが続いたりすると、決まって「おばあ、ちょっと来て」と呼ばれていく人でした。

誰かに"見てもらう"というより、その家の縁側にただ静かに座って、揺れている灯りをそっと直しに来る。そういう人でした。

私は、その祖母のそばで育ち、祖母から受け継いだ感覚を、そのまま今の仕事にさせていただいています。
ただ、いわゆる古い型のユタさんのように、ご相談者様のお家に上がってお祓いや拝みごとをすることは、いたしません。
お預かりしたお話に静かに向き合って、灯りを視て、灯りを整えてお返しする。それが、私のしていることです。

04いつから視えていましたか?

かなり昔のことです。

ただ、それが「他の人と違う」と気づいたのは、七つの夏の夕暮れでした。
いとこと二人で川平湾の砂浜で貝を拾って遊んでいたとき、海の向こうから、小さな橙色の灯が、ふうっと近づいてくるのが視えました。
いとこには、なぜか視えていないようでした。

その灯は、私の頭のうしろを通って、祖母の家のほうへ、すうっと戻っていきました。
追いかけるように家まで走って帰ると、祖母は台所の板間で足を折り、声を出せないまま倒れていました。

医者が来て落ち着いたころ、駆けつけた父方の伯母から「なんで、おばあが倒れているのが、わかったの?」と聞かれ、私は「わからない。灯が呼びに来たから」と、自分でも意味がわからないまま、そう答えていました。

その夕方から、私にとって"視える"は、特別なことではなく、ただ、そこにあるものになりました。

05どの様に視えるんですか?

その方の胸の中に、一つ、灯っている小さな火が視えます。

  • まっすぐ立って、静かに燃えている方。
  • なにかに覆われて、揺らいでいる方。
  • 細くなって消えかけていても、それでもまだ、静かに燃え続けている方。

その灯の様子で、その方が今、どんな時間の中にいらっしゃるのかが、なんとなく視えてしまうのです。

ただ、灯の様子だけでは、私にも詳しいことはわかりません。
ご相談の内容を伺いながら、その灯にそっと意識を向けていると、灯のまわりに、顔や声や、短い言葉が、ぽつり、ぽつりと浮かんできます。
それらを繋いでいくと、一本の道のようなものが視えてきます。

映画のように未来を頭から最後まで通しで視るわけではありません。
私は、その道に浮かんできたものを、順にそのまま読み上げていくだけです。

06当たりますか?

当てるために視ていません。

これまでご相談者様から一番多くいただいてきた言葉は、「なぜ?わかるの?」ではなく、「まだ誰にも、話していないのに」です。

ご本人がずっと感じていながら、言葉にしないまま置いてこられたこと。
それを、私が代わりに言葉にする。
だから「当たった」というより、「言われた」と感じてくださる方が多いようです。

視えたものが、望まれている答えと違うこともあります。
そのときは、正直にお伝えします。
ただ、悪いことを伝えて終わりにはしません。
「では、そこからどう歩くか」まで、必ずご一緒に視ます。

07対面はできますか?

今は、公式LINEでの文章鑑定のみでお受けしています。

お名前(呼び方)、性別、生年月日、今のご相談内容を送っていただければ、1時間ほどお時間をいただいて、無料鑑定をお返しいたします。

「文章だと薄くなりませんか」とよく聞かれますが、私の場合はむしろ逆です。
目の前にいらっしゃると、その方の表情や声に引っ張られて、灯りが順番通りに並ばなくなることがあります。
文章でお預かりしたほうが、灯りをひとつずつ、そのままの並びで置き直せます。

08無料鑑定と本鑑定は何が違いますか?

無料鑑定は、はじめに灯った灯りを、そのまま読み上げてお伝えするものです。
1時間の中で視えた範囲までを、文章でお返しします。

本鑑定は、その先まで時間をかけて視ていくものです。
時期。人と人との順番。相手の本心。ご先祖様のお言葉。
無料の範囲では入りきらないものを、鑑定結果としてお渡ししています。

無料鑑定を受け取っていただいて「もう少し先まで知りたい」とご本人が思われた方にのみ、こちらからご案内しています。
無理にお勧めすることはありません。

鑑定のご案内を見る

09不倫や複雑な恋愛などの相談でも大丈夫ですか?

もちろん、大丈夫です。

ちいさな島で長く暮らしていると、「周りの誰にも話せない話」を、静かに抱えたまま暮らしている方が、どれほどいらっしゃるかが、よくわかります。

  • 何年経っても諦めきれない人がいる。
  • 好きになった相手には、家庭がある。
  • 裏切られたはずなのに、まだ憎みきれない。
  • 40代、50代になってから、初めて誰かをちゃんと好きになった。

外から見れば「やめておきなさい」の一言で片づけられることでも、当のご本人にとっては、そう単純なことではありません。

私は、誰かを傷つけることを勧めるために視ているわけではありません。
けれど、悩んでいらっしゃるご本人まで否定する必要はない、といつも思っています。
きれいに整えてお話しくださらなくて大丈夫です。そのまま、お聞かせください。

10怖いことを言われませんか?

「このままでは大変なことになりますよ」
「今すぐ動かないと手遅れです」

そういう言葉は使いません。
恐怖で人を動かすために、この感覚を使いたくないからです。

祖母もそうでした。「その舟は、今日はやめておきなさい」と告げるときも、決して怒鳴らず、いつも通りの声で、静かに一言、告げるだけの人でした。

私も、そのままです。

11先生、と呼んだほうがいいですか?

呼ばなくて大丈夫です。

私は普通に悩みます。
夜、眠れなくなる日もあります。
何もできない日もあります。

夕方、川平湾の桟橋に座って、観光の方たちの遠くの笑い声を聞きながら、ぼんやり水面を眺めているだけで一日が終わることも、よくあります。

「先生」と呼んでいただくよりも、少しだけ変わった人生を経験した人に話してみよう。
そのくらいのお気持ちで来てくださったら、いちばん嬉しいです。

12みなさんへ

今いる場所からの景色だけを見て、これからのご自身の人生を、全部決めつけないでください。

真っ暗にしか見えない夜も、灯りがひとつ灯れば、次の一歩は視えます。
灯りは、一つで十分です。

その最初の一つが、あなたのところに届きますように。

それだけを、毎朝、集落の外れにある小さな御嶽で、静かに願っています。

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